社労士になる子ちゃん
労務管理その他の労働に関する一般常識重要度B労働組合との賃金債権放棄の合意

平尾事件

最高裁第一小法廷・2019年4月25日・最一小判平31.4.25

平尾事件の当事者関係図
平尾事件の当事者関係図
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なる子ちゃんの判例解説動画

プレミアム5:06

経営難の会社が組合との協約で賃金の20%カット(支払猶予)を重ね、部門閉鎖を機に組合との間でカット分の債権放棄に合意した事件です。最高裁は、労使間の放棄合意だけでは組合員個人の未払賃金債権は消えず、既に発生した賃金請求権を事後の協約の遡及適用で処分・変更することも許されないと判断しました。労働協約の効力が及ぶ範囲の限界を示した近時の重要判例です。

事案の概要

生コンクリート運送の運転手Xは、会社の営業所で働く労働組合の組合員でした。経営難の会社は組合との間で、平成25年に第1協約(賃金の20%をカットして支払を猶予し、猶予分全額を労働債権として確認)、平成26年に第2協約、平成27年に第3協約を書面で締結し、それぞれ12カ月分の賃金カットを行いました。平成28年12月に生コン運送部門が閉鎖されると、会社と組合は第1・第2協約でカット対象となった賃金債権を放棄する合意をしました。平成27年3月に定年退職していたXは、第1・第2協約で減額された賃金等の支払を求めて提訴しました。

  1. 第1協約経営難の会社と組合が、12カ月分の賃金20%カット・支払猶予の協約を締結しました(猶予分は労働債権として確認されました)
  2. 第2・第3協約翌年以降も同様の賃金カットの協約を書面で締結しました
  3. 定年退職Xが定年退職しました(放棄合意より前のことです)
  4. 放棄合意部門閉鎖を機に、会社と組合がカット分の賃金債権を放棄する合意をしました
  5. 最高裁放棄合意の効果はXに帰属せず、債権は放棄されていないと判断しました

争点

使用者と労働組合との間で未払賃金に係る債権を放棄する旨の合意がされた場合、その合意によって、組合に所属する労働者個人の未払賃金債権を放棄することができるか、という点です。

判旨

判決文からの引用(原文のまま)

「本件合意はY社とA労働組合との間でされたものであるから、本件合意によりXの賃金債権が放棄されたというためには、本件合意の効果がXに帰属することを基礎付ける事情を要するところ、本件においては、この点について何ら主張立証はなく、A労働組合がXを代理して具体的に発生した賃金債権を放棄する旨の本件合意をしたなど、本件合意の効果がXに帰属することを基礎付ける事情はうかがわれない。

そうすると、本件合意によってXの本件各未払賃金に係る債権が放棄されたものということはできない。

(中略)具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約の遡及適用により処分または変更することは許されないところ、Xの本件未払賃金1に係る賃金請求権のうち第1協約の締結前および本件未払賃金2に係る賃金請求権のうち第2協約の締結前にそれぞれ具体的に発生していたものについては、Xによる特別の授権がない限り、労働協約により支払を猶予することはできない。

(中略)これらについては、第3協約の対象とされた最後の支給分(平成28年7月支給分)の月例賃金の弁済期であった同月末日の経過後、支払が猶予された賃金のその後の取扱いについて、協議をするのに通常必要な期間を超えて協議が行われなかったとき、またはその期間内に協議が開始されても合理的期間内に合意に至らなかったときには、弁済期が到来するものと解される。」

結論

使用者と労働組合との放棄合意は組合と会社の間の合意にすぎず、労働者個人の賃金債権を消滅させるには、組合が本人を代理していたなど合意の効果が本人に帰属することを基礎付ける事情が必要です。また、具体的に発生した賃金請求権を事後の労働協約の遡及適用で処分・変更することは許されず、本人の特別の授権がない限り支払猶予もできません。

関連法令の解説

労働協約の規範的効力とその限界(判例法理)

労働協約は組合員の労働条件を集団的に規律する強い効力を持ちますが、それはこれから発生する労働条件についての話です。既に具体的に発生した個々の賃金請求権は労働者個人の財産であり、これを処分・変更するには本人の特別の授権が必要、というのが本判決の示した限界線です。協約自治にも「個人の既得の債権」という越えられない一線がある、と理解しましょう。

代理の法理(民法)

組合と会社の合意の効果を組合員個人に及ぼすには、組合が本人を代理して合意したなど、効果帰属を基礎付ける法律上の根拠が必要です。本件ではその主張立証が何もなかったため、放棄合意の効果は本人に及ばないとされました。団体の合意と個人の権利は別物、という民事の基本が決め手になっています。

身近な例え

町内会が「会員全員、積立金の返還請求をあきらめます」と業者と合意しても、あなたが預けたお金の返還請求権が勝手に消えるわけではありません。あなたの権利を処分できるのは、あなたが代理権を与えた場合だけです。すでに発生してあなたの手元にある権利は、団体の後決めルールでは奪えない、という話です。

なる子ちゃん

なる子ちゃんのざっくりまとめ

組合と会社が「未払賃金はチャラにします」って合意しても、組合員本人の債権は勝手には消えないよ、っていう判例だね。ポイントは3つ。①放棄合意はあくまで組合と会社の間のものだから、本人に効果を及ぼすには組合が本人を代理してた、みたいな根拠が必要(この事件では何の立証もなかった)。②すでに具体的に発生した賃金請求権を、後から結んだ労働協約の遡及適用で処分したり変更したりするのは許されない。③発生済みの分は、本人の特別の授権がない限り支払猶予すらできない。「協約さえあれば既発生の賃金もいじれる」って思わせるのがひっかけの定番だから、発生済みの賃金債権は本人のもの!って軸をぶらさないでね!

選択式で狙われるポイント

①組合と会社の放棄合意だけでは組合員個人の債権は消えない(効果帰属を基礎付ける事情=代理等が必要)、②既に具体的に発生した賃金請求権は、事後の労働協約の遡及適用で処分・変更できない、③発生済みの分は本人の特別の授権がない限り支払猶予すらできない——この3点が柱です。「労働協約があれば既発生の賃金も処理できる」と誤らせるのが出題の型なので気をつけましょう。

  • 組合と会社が賃金債権の放棄に合意しても、それだけでは組合員個人の債権は消えません。本人への効果帰属を基礎付ける事情(組合が本人を代理した等)の主張立証が必要です。
  • 既に具体的に発生した賃金請求権は、後から締結された労働協約の遡及適用によって処分・変更できません。協約の規範的効力は将来の労働条件を規律するもので、発生済みの債権処分には本人の特別の授権が必要です。
  • 本件の「賃金カット」は免除ではなく支払猶予です。猶予分の弁済期は、最後の協約対象支給分の弁済期経過後、通常必要な期間を超えて協議が行われないか、協議しても合理的期間内に合意に至らなかった時点で到来する、と整理されました。

穴埋めで問われるキーフレーズ

  • 本件合意の効果がXに帰属することを基礎付ける事情を要する
  • 具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約の遡及適用により処分または変更することは許されない
  • Xによる特別の授権がない限り、労働協約により支払を猶予することはできない
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